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東京高等裁判所 平成6年(う)614号 判決

裁判所書記官

宮川雅男

本籍

埼玉県朝霞市東弁財二丁目一八番地の一一

住居

右同所

無職

岡加津子

昭和一二年五月一七日生

本籍

大阪府高槻市月見町九三五番地の一

住居

東京都新宿区歌舞伎町二丁目四五番四号 石井ビル四階B室

元会社役員

小山昌宏

昭和一五年二月一六日生

右の両名に対する各所得税法違反被告事件について、平成六年三月二二日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人両名から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官五島幸雄出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

被告人小山昌宏に対し、当審における未決勾留日数中三〇〇日を原判決の刑に算入する

理由

本件控訴の趣意は、弁護人奥田保名義の控訴趣意書及び同補正書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一訴訟手続きの法令違反の主張に対する判断

論旨は、要するに、原裁判所は、弁護人が刑訴法三二三条三号に該当する書面として証拠請求した被告人小山昌宏の岡千文(以下「千文」という。)宛手紙四七通及び中村敏男宛手紙三五通について、いずれも右法条に該当しないとして却下したが、これは判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続きの法令違反にあたるというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討するに、右各手紙は、被告人小山が、本件各所得税法違反で起訴された後、東京拘置所内から、被告人岡加津子の次女千文に宛て、新宿形成外科クリニック(以下「新宿形成外科」という。)の運営資金の調達、管理、会計、医師、看護婦、事務員の採用、給与、退職、休暇、中元・歳暮の種類、金額、送り先、広告の出し方などについて、意見や指示を記載し、また、広告代理店株式会社明文館の代表者に宛て、同医院の広告内容の提案、推敲、広告掲載紙の選定などについて、意見や指示などを記載したものである。そして、原審弁護人は、これを被告人小山が本件当時新宿形成外科などの実質的経営者であったことを証明するという立証趣旨で、刑訴法三二三条三号の書証として証拠申請したところ、原審は、同号に規定する書面には該当しないとしてこれを却下し、原審弁護人からあらためて非供述証拠として申請された後、これを採用して取り調べている。右の手紙が刑訴法三二三条三号にいう特に信用すべき状況の下に作成された書面にあたると認めるべき資料は存在しない。また、本件の事案は、所論が援用する最高裁判例(最高裁昭和二九年一二月二日第一小法廷判決、刑集八巻一二号一九二三頁)の事案とは異なっている。したがって、原審がこれを当時の被告人小山の言動及び心情を証明するための非供述調書として採用するにとどめたのは相当である。論旨は理由がない。

第二事実誤認の主張に対する判断

一  原判決が認定した事実の概要

原判決は、被告人両名が共謀の上、(1)新宿形成外科の名称で医業を営んでいた公訴棄却前の相被告人岡和彦(以下「和彦」という。)の業務に関し、その所得税を免れようと企て、新宿形成外科の診療収入の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿し、昭和六一年分から昭和六三年分の和彦の所得につき、いずれも虚偽過少の確定申告書を所轄税務署長に提出してそれぞれ法定納期限を徒過させ、昭和六一年分につき二億二八九一万八一〇〇円、昭和六二年分につき一億八九八三万三五〇〇円、昭和六三年分につき一億五七八四万八八〇〇円の所得税を不正に免れ、(2)新宿千代田形成外科(以下「千代田形成外科」という。)の名称で医業を営んでいた被告人岡加津子(以下「被告人加津子」という。)の業務に関し、その所得税を免れようと企て、千代田形成外科の診療収入の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿した上、昭和六二年分と昭和六三年分の被告人加津子の所得につき、いずれも虚偽過少の確定申告書を所轄税務署長に提出してそれぞれ法定納期限を徒過させ、昭和六二年分につき五三七八万一二〇〇円、昭和六三年分につき一億六四〇七万六五〇〇円の所得税を免れたと認定している。

二  論旨の要点

論旨は、要するに、「両医院の診療収入はすべて被告人小山に帰属しており、和彦や被告人加津子には帰属していなかった」から、被告人両名は、本件各公訴事実について無罪であるのに、原判決がこれを否定して被告人両名を有罪としたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であるというのである。そして、その証左として、被告人小山は、(1)新宿形成外科関係では、院長であった和彦が、昭和五三年の交通事故が原因で体調が優れず、昭和五八年頃からはノイローゼとなり、精神安定剤の副作用で精神的に混乱して手術等の医療業務に携わる意欲をなくして病院経営ができなくなったため、昭和五九年ころ、和彦からその経営権を譲渡され、(2)千代田形成外科の関係では、開業資金の借入計画、被告人加津子の実印を使用しての普通預金口座の開設、同被告人名義での資金の借入、同医院が入居した千代田ビルの賃貸借契約などを自分一人で行い、開業当初から自分が経営しており、(3)両医院の医師、看護婦などの人事権を掌握し、両医院の広告についても決定し、(4)両医院の売上の全てを管理し、売上を除外して非常勤医師らにいわゆるヤミ給与を支払い、また、顧問税理士と相談して被告人加津子の必要に応じて和彦の報酬とは別に現金を手渡してこれを仮払金として経理処理し、さらに、約七億円にものぼる多額の勝馬投票権を購入し、約四億五〇〇〇万円もの株式投資も行っていたことなどを指摘している。

三  当裁判所の判断

原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、新宿形成外科の昭和六一年から昭和六三年分の診療収入が同医院の経営者和彦に帰属し、千代田形成外科の昭和六二年、昭和六三年分の診療収入が同医院の経営者被告人加津子に帰属していたことは明らかであって、原判決には所論のような事実の誤認は認められない(但し、原判決に添付された和彦の昭和六三年分の修正損益計算書中、修繕費の公表金額及び差引修正金額欄に五万七七一〇円とあるのは五万七七七〇円の、雑費の公表金額及び差引修正金額欄に三八八万五七二二円とあるのは三八八万五六六二円のそれぞれ誤記と認める。)。以下、説明を加える。

1  関係証拠によると、たしかに、被告人小山は、新宿形成外科に関し、本件各事業年度の以前から、事務長として医療行為を除く医院運営業務全般を担当し、医師、看護婦の人事などを行い、また、千代田形成外科に関し、設立段階から開業資金の借入や入居ビルの賃借手続、医師・看護婦などの人事、広告掲載関係の業務を一人で行っていたほか、両医院の診療収入の一部除外、保管し、その中から、非常勤医師らにいわゆる簿外給与を支払い、被告人加津子の必要に応じて和彦の報酬とは別に現金を手渡して仮払金として経理処理し、除外した診療収入を多額の勝馬投票権の購入や株式投資に資金に充当していた。

その経緯をみると、(1)医師である和彦(平成四年七月一二日死亡)は、昭和五五年一〇月、銀行から資金を借り入れて東京都新宿区歌舞伎町二丁目四五番七号所在の石井ビル七階に新宿形成外科を設立し、看護婦二名を雇用し、被告人加津子の義弟である被告人小山に事務を手伝わせ、自らは診療のほかに売上金の管理、帳簿の記載等の経理事務をはじめとする経営全般を掌理していたが、次第に診療行為に専念するようになり、和彦の個人資産の管理運用は妻の被告人加津子に任せ、昭和五七年ころからは、被告人小山を事務長に就任させて経理事務を任せるようになった。そして、昭和五九年ころ、和彦の施した手術の余後が悪く、手術部分が化膿した事例が数件続き、昭和六〇年には、左目の眼底出血を起こして三か月位手術ができず、昭和六二年五月には外傷性右胸膜癒着、胆石症、壮年期うつ病の診断を受けるなどして、断続的に不安定な精神状態が続いたため、同医院の運営を被告人小山に任せ、診療行為も週に数日出勤して院長として行う程度にとどめるようになったが、同年一〇月ころからは、それまで非常勤であった末廷医師を常勤医師に採用してともども診療業務に当たっていた。(2)被告人小山は、昭和五六年春ころから、正規の給与の他に、診療収入の中から和彦に無断で現金五〇〇〇円の初診料を月に五、六回抜き取って生活費等に充てていたが、同医院の事務長に就任してからは、診療収入の伸び悩みを打破するため、宮城医師を招へいして手術を担当させるとともに、同医院の宣伝広告を雑誌やスポーツ新聞に積極的に掲載して多くの患者を集め、その結果診療収入が増えたことから、和彦に無断で診療カルテの一部を抜き取って診療収入を除外するようになり、さらに、宮城医師のほかに新たに医師を招へいしてからは、手術件数を増加させるため、手術件数に比例して医師らに簿外給与を支給することにし、その資金調達の必要からも診療収入の一部除外を恒常的に行うようになった。(3)被告人加津子は、夫の和彦から同人の個人資産の管理運用を任され、和彦の事業主としての給与と自分の専従者給与分の合計金額を被告人小山から受け取っていたが、昭和五九年ころ、被告人小山に右給与の増額を要求し、顧問税理士の助言を受けた被告人小山から自分の必要に応じて仮払の名目で一〇万円単位の現金を別途受け取るようになり、和彦が眼底出血を起こした昭和六〇年六月ころからは、和彦との離婚を意識して一人立ちできる資金を貯めておこうと考え、被告人小山に対し、夫に内緒で給与外の現金を要求し、被告人小山がこれを承知したことから、以後、一回に百万円単位の現金を受け取るようになり、家の修理や子供の学費などが必要になったときには、数百万単位の現金を受け取っていた。そのほか、新宿形成外科の従業員として実質的には働いたとは言えない娘真弓らについて同医院で働いたことにすることを被告人小山に認めさせ、真弓については昭和六一年一一月分から、実弟田中宏夫については昭和六二年五月ころから昭和六三年秋ころまで、実妹小林万里枝については同年一一月以降その給与分を受け取っていた。他方、被告人小山は、同年春から夏にかけてのころ、被告人加津子に対し、看護婦長に月二〇万円位の簿外給与を支給したい旨の相談を持ちかけてその同意を得た際、「あんたも大変なんだから二〇万位取っても良いわよ。」と言われて、簿外給与を受け取ることになった。(4)被告人小山は、昭和六二年に入り、新宿形成外科の患者数が更に増え、患者の中には玉入れ手術(陰茎部にシリコン球を付着させるもの)を希望する者が多く、右手術により売上げが増大することから、和彦に右手術の再開や分院開設を進言したが、いずれも拒否されたため、被告人加津子に自ら新たに医院を開設することを勧め、被告人加津子は、銀行融資を得て同年七月、新宿形成外科に隣接する千代田ビルの一室を借り、自ら代表者の肩書入りの名刺を作り、他の医師の名義を借用して千代田形成外科を開業した。その際、被告人小山は、同医院の事務長として、銀行融資の手続、入居ビルの賃借手続、医師・看護婦らの採用などの業務全般を取りしきった。(5)被告人小山は、以上のような経緯のもと、新宿形成外科については昭和六一年から昭和六三年の三か年度、千代田形成外科については昭和六二年及び昭和六三年の二か年度の各年度にわたり、売上の一部を除外する分のカルテに印をつけて公表分のカルテと区別して別途保管し、除外した現金は事務所や自宅に一時隠匿し、その中から、被告人加津子の求めに応じて前記のように現金を渡したり、自分の競馬等の遊興費や株式投資、クラブの経営資金などに充て、他方、被告人加津子は、被告人小山から仮払の名目で受け取った現金で割引債券や株式を購入し、その証券類を妹小林万理枝名義で借りた銀行の貸金庫に隠匿するなどしていた。

2  所論は、被告人小山の上述のような行動は新宿形成外科及び千代田形成外科の実質上の経営者であることを示すものであると主張する。

しかしながら、被告人小山は、和彦及び被告人加津子からそれぞれ新宿形成外科及び千代田形成外科の事務長に選任され、前述した和彦の事情や被告人加津子の義弟という立場が加わり、個別の授権がない場合でも業務遂行行為を行うことが許されていたと認められるのであるから、両医院の経理、人事などの広範な業務運営につき事業主にも比すべき行動をとっていたからといって少しも不自然ではなく、そのことの故をもって自らが両医院の事業主となり、その所得の処分権限を有することになるわけではない。また、診療収入の除外は、新宿形成外科については和彦に内緒で行い、千代田形成外科については被告人加津子と意を通じて行っていたのであるから、所論の根拠とはならない。さらに、被告人小山が診療報酬を除外して競馬などの個人的な遊興費に充てていたことも、犯罪行為にこそなれ、同被告人が両医院の経営者であることの証左となるものではない。

もともと、新宿形成外科は和彦が開設し、千代田形成外科は被告人加津子が実質的債務者として銀行から開業資金の融資を受け、千代田ビルの一室を賃借して開設した医院である。そして、被告人小山は、両医院の諸経費を全て両医院の収入の中から代表者名義で支出しており、被告人小山が個人的に負担したことを窺わせる資料はない。また、被告人小山は、本件脱税対象年分の両医院の確定申告を新宿形成外科については和彦、千代田形成外科については被告人加津子の各名義でしている。もとより、被告人小山が和彦及び被告人加津子から各医院の営業権を譲渡されたことをうかがわせる資料は全く存在しない。

以上の諸点を総合すると、被告人小山は、和彦や被告人加津子からそれぞれ両医院の経営について委任を受け、その権限に基づき両医院の経営に当たっていたとみるのが相当であり、被告人小山が本件起訴後、千文や広告会社の社長に宛てた多数の手紙で新宿形成外科の経営や広告に関して指示をしていた点も、右のような立場でしていたものと理解するのが相当である。

3  なお、所論は、両被告人の各検察官調書中の自白には信用性がなく、両被告人の原審第一回公判期日における被告事件に対する陳述も自白とみるべきではないと主張している。

しかしながら、両被告人の各検察官調書は原審において弁護人の同意を得て取り調べられており、その内容も上述したところと合致しており、信用性は高い。また、両被告人の原審第一回公判における各陳述が自白であることは明らかである。

第三量刑不当の主張に対する判断

論旨は、要するに、被告人加津子を懲役二年四月及び罰金五〇〇〇万円に、同小山を懲役二年六月に処した原判決の量刑は、いずれも重過ぎて不当であるというのである。

そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、本件は、新宿形成外科を開業して医業を営んでいた和彦の妻である被告人加津子と同女の義弟である被告人小山が共謀して、昭和六一年から三年間にわたり同医院の診療報酬の一部を除外するとともに、被告人加津子が同小山の勧めで昭和六二年に開業した千代田形成外科の診療収入の一部も二年間にわたり除外するなどの方法により各期間の和彦及び被告人加津子の所得を秘匿した上、虚偽、過少の所得税確定申告書を所轄の税務署長に提出して、和彦の三年分の所得税合計五億七六六〇万円余り、被告人加津子の二年分の所得税合計二億一七八五万円余りをそれぞれ脱税したという事案である。

本件の脱税額は高額で、ほ脱率も、新宿形成外科関係で平均八六パーセント以上、千代田形成外科関係で平均九六パーセント以上と非常に高率であり、犯行の態様も、しるしを付けた診療カルテを公表分と区別して保管し、後日これを廃棄処分して証拠を残さないようにしながら収入を除外し続けたというものであって大胆であり、犯行の動機にも格別酌むべき点がなく、被告人両名の刑事責任は重い。

そうすると、和彦、被告人加津子の両名は、本件公訴の提起前に各々修正申告をして、千代田形成外科の本税全部と新宿形成外科の昭和六三年度の一部を除く本税を納付していること、被告人加津子は、原審公判の途中で夫和彦が死亡し、自分が設立した千代田形成外科も本件脱税の発覚もあって廃業するに至り、長男の収入に依存した生活を送っていること、被告人小山は、両医院の収入はすべて自分に帰属するとして本件公訴事実を争ってはいるものの、自分の行為によって被告人加津子らに迷惑をかけたことについて反省の態度を示していること、その他、両被告人の健康状態などの酌むべき事情を十分考慮しても、被告人両名に対する原判決の量刑は止むを得ないところであって、未だ重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

第四結論

よって、刑訴法三九六条により、本件各控訴を棄却し、被告人小山に対し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中三〇〇日を原判決の刑に算入するとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香城敏麿 裁判官 中野久利 裁判官 林正彦)

控訴趣意書

所得税法違反 岡加津子

右同 小山昌宏

右の者らに対する頭書被告事件につき、控訴した趣意は左記のとおりである。

平成六年一二月一二日

弁護人 奥田保

東京高等裁判所第一刑事部 御中

被告人両名に対する原判決には、訴訟手続の法令違反があって、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるが、右主張が容れられないとしても、被告人両名を有罪とした事実認定につき、判決に影響を及ぼすべき事実誤認がある。また、仮に被告人両名が有罪としても、原判決が被告人らを懲役刑につき実刑に処し、被告人岡加津子については高額の罰金刑を併科したのは、量刑重きに失し不当であるから、いずれにしても原判決は破棄されるべきである。

Ⅰ 訴訟手続の法令違反の主張について

被告人小山昌宏が、岡千文らに宛てた信書合計八二通の書証としての取調べ請求を却下した原審決定には、訴訟手続の法令違反がある。

原審(第一六回公判)において、弁護人が判事訴訟法三二三条三号書面として取調べ請求した被告人小山昌宏の、被告人岡加津子の次女岡千文宛信書合計四七通、並びに広告代理店(株)明文館社長中村敏男宛の信書三五通につき、原裁判所が右信書はいずれも刑事訴訟法三二三条三号書面に該当しないとして取調べ請求を却下したのは、後記最高裁判例違反がある。

刑事訴訟法第三二三条三号は「前二号に掲げるものの外、特に信用すべき情況の下に作成された書面」と規定している。この特信性は、絶対的な外部的客観的に作成の真正が保障される事由をいうと解される。従って刑事訴訟法第三二一条一項二号後段の相対的特信性よりは数段高く、同条一項三号の絶対的特信性よりも相当高いものと言わねばならない(証拠能力の付与難易にとどまらず、証明力が格段に異なり、本条書面のほうが高い)。具体的には、供述態度の自然性、供述内容の自然性(真実性)、供述者の良心性、供述内容の真正保持の義務性、書面の公示性、供述の供述者にとってその内容の不利益性のほかに、供述者(作成者)の公平性、供述者(作成者)の事件とその無関係性などの点から、記載内容の真実性が客観的に担保されている書面であることを要する。刑事訴訟法第三二三条は、そのような要件を具備しているものとして、一号乃至三号に規定された書面に、無条件に証拠能力を与えている(石丸俊彦・仙波厚・川上拓一・服部悟共著刑事訴訟の実務、新日本法規出版(株)。一八七頁以降参照および石丸俊彦著刑事訴訟法、(株)成文堂。三六五頁以降参照)。

そして、最高裁判所も「服役者とその妻との間における一連の信書として特に信用すべき情況の下に作成された書面と認定した第一審の判断を正当として是認することができ、経験則その他に違反した違法は認められない。」として、服役者からその妻に宛てた信書に証拠能力を認める判断を下している(最高裁判所第一小法廷・昭和二九・一二・二日判決、刑集八・一二・一九二三)。

しかるに、原審の、被告人小山昌宏が、被告人岡加津子の次女岡千文らに宛てた信書合計八二通を、同法第三二三条三号書面に該当しないとして取調べ請求を却下した訴訟手続きには、右掲記の最高裁判所判例違反がある。

右訴訟手続の法令違反が、原判決に重大な影響を及ぼすことは、以下のとおりである。

本件の新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科両医院の経営者は被告人小山昌宏であり、このことは原審公判廷においても被告人岡加津子、被告人小山昌宏両名が供述するところである。

ところで、第審は、被告人両名の供述を補強する書証として当弁護人が証拠申請した信書(被告人小山昌宏が、被告人岡加津子の次女岡千文に宛てた信書合計四七通、被告人小山昌宏が、広告代理店(株)明文館社長中村敏男に宛てた信書合計三五通)総合計八二通を、刑事訴訟法第三二三条三号書面に該当しないとして却下したものであるが、これら一連の信書の内容をみると、被告人小山昌宏が、新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科両医院の経営方針、運営方針、さらに運営資金の調達、管理、返済方法および両医院の医師、看護婦、事務員の採否、退職、給料、休暇およびその取らせ方、御中元・御歳暮の送り先やその内容(品物、金額に至まで)、新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院の広告の取り方、出し方、特にその広告内容の発案、推敲、制作迄の全てを監督管理し、それも極めて詳細に指示、命令し、あまつされ、その詳細に指示、命令したことを、忠実に励行したか否かを東京拘置所まで面会および書面で報告させ、また、その指示内容によっては、必要書類を提出、差し入れさせるなど、東京拘置所に勾留されてまでもなお、厳然と新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院に関し経営手腕を振るっていることが認められ、所得税法違反で逮捕・勾留されなければ、被告人小山昌宏の新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院における権力は、なお一層絶大であったと容易に推認し得るところである。

被告人小山昌宏の実体の一部分しか反映していないこれら信書を見ると、新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科両医院の経営者でなければ、到底発信出来ないような内容であり、これら一連の信書を書証として採用証拠調べすれば、新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科両医院の経営者は被告人小山昌宏であることが明白となったと言わざるを得ない。

以上のとおり、被告人小山昌宏の信書に関する訴訟手続の法令違反が原審において、事実誤認を招来させた大きな要因をなしているのであって、判決に影響を及ぼすことは明らかである。

Ⅱ 事実誤認の主張について

原判決は、被告人両名の本件各公訴事実につき、いずれも有罪であるとの判決をなしたが、前項主張の訴訟手続きの法令違反の主張が採用されず、原審取調べ済の関係各証拠だけからでも被告人両名は無罪とされるべきであるから、原判決は破棄されるべきである。

所得税は名義人の如何にかかわらず、所得の実質的な帰属者に対し、課されるべきものである(実質課税の原則=所得税法一二条)。その「所得者」の具体的判定方法は、事業から生ずる収益の帰属者は、その事業を経営していると認められる者により判定するものとされており(平成五年版「税法便覧」大蔵省主税局・渡邊博史税制第三課長監修、五二頁参照)、この観点からすると、以下検討するように、各公訴事実における各医院の実質的経営者は、被告人小山昌宏であるから、本件各公訴事実につき被告人両名は、無罪である。

第一 原判決認定事実の第一について

右判示事項は、新宿形成外科クリニック(以下新宿形成という)に関するものである。

右判示事実につき、原判決は亡岡和彦が、右新宿形成の経営者であり被告人岡加津子、同小山昌宏は、右亡岡和彦の業務に関して、共謀して、脱税したものと認定した。

確かに、昭和五五年開設した当時の経営者は亡岡和彦であったが、関係各証拠によれば、

1 亡岡和彦は、昭和五三年、交通事故が原因で体調が思わしくなく、日頃から飲酒により気を紛らわせていたが、昭和五八年こすから、ノイローゼになり、精神安定剤(ラボナール)の副作用で、昭和五九年当時精神的に混乱し、手術をする意欲がすっかりなくなってしまい、医療業務はもとより、対人関係等で苦労の多い、病院経営は到底出来ない情況にあった。

2 被告人小山昌宏は、昭和五九年より、前述の事情で岡和彦から新宿形成の経営権を譲渡され、実質上単独経営者となったものである。

しかし、確定申告は、岡和彦名義でそのまま行っていたものであるが、実際には、開院当初から共同経営者の被告人小山昌宏が、塩野目税理士と相談の上、行っていたものである。

この点について原判決は「和彦と被告人加津子の両名は各形成外科開設以来、小山に各自の印鑑の使用を許諾して税務申告手続を各々任せ、被告人小山は、新宿形成外科については和彦の所得として、千代田形成外科については被告人加津子の所得としてそれぞれ確定申告していたこと」と認定している。しかし、経理知識の乏しい被告人小山昌宏とっては、岡和彦から新宿形成の経営権を譲渡され、実質上単独経営者となっても、岡和彦から自己名義に税務申告をするのが面倒くさく、また、岡和彦は義理の兄であり、名目上だけではあるが医院長としているので、岡和彦名義でそのまま税務申告しておけばよいと安直に考えていたものである。このようなことは、税務知識の乏しい素人の者にはありがちなことである。

しかしその一方、共同経営者岡和彦から新宿形成の経営権を譲渡され、実質上単独経営者となった被告人小山昌宏は、新宿形成の大幅な収入増に腐心し、その方法として宣伝により新宿形成の名を広め、患者を集めることとした。そのため、被告人小山昌宏は、広告関係を取りしきり、普通の広告(「縦縞」という)及び、記事のように装って、実は宣伝効果を狙う「記事稿」も被告人小山昌宏の発案、企画するところであった。

3 右事情から、亡岡和彦は、共同経営者からただの雇われ医院長になったこともあり、新宿形成には全く興味を示さなくなり、被告人小山昌宏から毎月の給料を貰い、ノイローゼと精神安定剤の副作用を治療する日々であり、被告人小山昌宏の要請があるたびに医院長として人前にでるのみであった。そのため、被告人小山昌宏が、どのようにして広告代理店を探し、依頼し、どの媒体雑誌を用いて、どのような広告を載せ、どのくらいの広告費を掛けるかも全く無関心であったものである。

4 すなわち、被告人小山昌宏は、新宿形成にとって単なる事務長ではなく、経営者であった、と認め得るのである。

ところが、判示事実第一においては、亡き岡和彦が経営者とされ、確定申告すべき立場にある同病院の所得の帰属者とされているものであるが、被告人小山昌宏が真実の所得帰属者であるから、判示事実第一の各認定事実はその前提を欠き、被告人両名とも無罪というほかはない。

第二 原判決認定事実の第二について

右判示事実は、新宿千代田形成外科(以下新宿千代田という)に関するものである。

右判示事実についても、原判決は、新宿千代田の経営者は、被告人岡加津子であり、同病院の所得の帰属者は、同被告人であるとして、事実認定しているが、関係各証拠によれば、同医院の経営者もまた被告人小山昌宏であると認め得るから、被告人両名とも無罪である。

原審取調べの関係各証拠によれば、

1 この新宿千代田こそ、被告人小山昌宏が最初から経営者となった医院である。

開業名義人が、被告人岡加津子であるが、その場所で新医院を開業することを決定したのは、被告人小山昌宏であり、その理由は新宿形成では場所が狭くて、集めた患者をこなしきれず、せっかく来院した患者がそのまま帰ってしまうことが多々あり、それではもったいないし、当時、シリコンボールの挿入手術の問い合わせも多く、シリコンボールの挿入手術を始めれば、さらに患者が増大し、利益増が容易に予想されたためである。

しかし、原判決は「千代田形成外科は、被告人加津子が和彦同様自ら資金を借り入れ同病院を設立し、その代表者となったこと」と事実を認定しているが、被告人岡加津子名義で、大生相互銀行(現東和銀行)から開業資金を借りる事を計画したのも、被告人小山昌宏である。なぜなら、開業当時、被告人小山昌宏は新宿形成からの収入のほとんどを競馬に費消し、預金残高も少なく、自らの名義では、大生相互銀行から開業資金の借入れが出来ない状態であり、銀行員に尋ねると、「岡加津子名義なら開業資金の借入れが出来る。」旨、言われたからである。

2 借入れた金員も、被告人小山昌宏の采配で使われたものである。

このことは、前述の経緯から被告人小山昌宏は、大生相互銀行からすぐ開業資金の借入れが出来るように、被告人岡加津子の実印で必要書類を作成したため、普通預金口座開設にも被告人岡加津子の実印を使用したが、被告人岡勝加津子が月に一、二回しか新宿に来ず、必要なときに思うように普通預金口座から、資金を引き出すことが出来ず苦労したので、そのため被告人小山昌宏が、普通預金口座での出金がすぐ出来るように、被告人小山昌宏の独断で、被告人岡加津子の実印から、被告人小山昌宏自身が、新宿歌舞伎町の(有)ヤマニという文房具店で作らせた印鑑に改印していることからも容易に推認し得るし、さらに当座預金口座についてははじめから被告人小山昌宏が前述の新宿歌舞伎町の(有)ヤマニという文房具店で作らせた印鑑を用いて、開設しているということからも明白である。

3 さらに、昭和六二年四月三〇日付被告人岡加津子名義の賃貸借契約書を作成した経過についても、被告人岡加津子は被告人小山昌宏より、右賃貸借契約書を作り直した旨伝えられたが、被告人岡加津子を連帯保証人にしている等は一切聞いていない。そのときの連帯保証人欄の「岡加津子」の名前は被告人岡加津子自身の署名ではなく、押印してある印鑑は被告人岡加津子のものであるが、押印者は被告人小山昌宏であって、被告人岡加津子ではない(平成四年二月二六日付被告人岡加津子検察官調書添付の千代田ビル賃貸借契約書写し参照)。と原審において述べているのに対し、原審検察官は、公判廷において、被告人小山昌宏に対し、千代田ビルを借り受けるのに際し、昭和六二年四月三〇日付被告人岡加津子名義の賃貸借契約書を作成している点につき、言及している程度で、関係証拠によれば、被告人小山昌宏が、その後、千代田ビル賃貸借契約書を被告人岡加津子に無断で、前述のとおり借主名義を大友節子院長名義に変更し、被告人岡加津子を連帯保証人にして作り直している点については言及しておらず、また、平成四年二月二六日の検察官の取調べの際すでに二通の千代田ビル賃貸借契約書が存在していたにもかかわらず、その点につき、取り調べ検察官らは何ら疑問も持たず、そのまま放置していたのみである。

さらに原判決においても、被告人岡加津子名義の賃貸借契約書の存在により被告人岡加津子の経営者性の認定の一つの証拠としているが、原審は何故か、これら二通の千代田ビル賃貸借契約書が平成四年二月二六日の検察官の取り調べの際すでに存在していたにもかかわらず、それらの点につき何ら疑問も持たず、この二通の千代田ビル賃貸借契約書の作成事実の確認もしておらず、ただ単純に、初めて千代田ビル賃貸借契約書の存在をもって容易に被告人岡加津子の経営者性を認定している、

とみられる。

さらに税務申告の点につき、原判決は「和彦と被告人加津子の両名は各形成外科開設以来、小山に各自の印鑑の使用を許諾して税務申告手続を各々任せ、被告人小山は、新宿形成外科については和彦の所得として、千代田形成外科については被告人加津子の所得としてそれぞれ確定申告をしていたこと」と認定している。しかし、経理知識の全く無い被告人岡加津子にとって千代田形成外科は、始めから被告人小山昌宏が経営するということで開院した医院であり、自分はただの銀行から開院資金の融資を受けるための融資の申込み名義人であるという自覚しかなく、その申込み名義人という意味で税務申告しているものと安易に思い込んでいたものであり、被告人岡加津子は自己の医院などという意思は、皆無であったものである。また、被告人岡加津子は経理関係についても、全くの素人であるため、千代田形成外科が自己名義で税務申告をしているという意味も本人には皆目わからない状態であったものである。

このように、千代田ビル借り受けに始まり、税務申告に至るまで、全て被告人小山昌宏の独断専行である。

第三 判示事実第一、第二を共通して

一 両医院とも実質的経営者は被告人小山昌宏とみるべきである。

判示事実第一、第二とも、公訴事実で問題とされている各医院の経営者が、被告人小山昌宏であることは、次の事情からも窺い得る。

1 被告人小山昌宏が両医院の医師、看護婦等の人事権を掌握している。このことは、被告人小山昌宏が、原審公判廷においても述べており、また、被告人小山昌宏作成の上申書(二)においても記載しているとおりである。

2 被告人小山昌宏が両医院の広告面で絶大な実力を持ち、これを発揮した。被告人小山昌宏は、広告関係者と密接に連絡をとり、採算の合う広告作りに腐心していた。

同被告人は、広告効果を常に念頭に置き、広告媒体を選んだが、その選び方は極めてシビアであった。

このことは、被告人小山昌宏が法廷において、またその上申書(二)でも述べているが、右供述はその趣旨が記載された被告人小山昌宏の岡千文宛信書及び中村敏男宛信書の存在からも信憑性は高い。

3 被告人小山昌宏は、両医院における売上を管理し、その中から、後楽園場外馬券売り場等で、約七億円にものぼる多額の競馬投票券(一〇万円券)を購入し、また約四億五〇〇〇万円もの株投資もおこなっていたものであり、それば真実の経営者でなければなし得ない大胆な行為である。

4 原審検察官も論告要旨第九頁において「(ウ)小山は、同五六年ころから、新宿形成の売上の一部を除外し、それを着服して競馬等の自己遊興費に当てるようになり、また同五九年ころ、同医院において、看護婦樋口俊美の紹介により、非常勤の宮城陽太郎医師を雇用してからは、同病院の売上が、急増したため、同人らの労に報いるべく、同人らにいわゆるヤミ給料を支払うことを企図し、そのためにも、売上除外を行うようになった。」と主張し、原審検察官も、被告人小山昌宏の采配ぶりを認めている。(もっとも競馬等の遊興費に売上金を流用したのを「着服」という点は、事実に反し、被告人小山昌宏は他人の金員をほしいままに着服したのではなく、自己の所得に帰属する金員を営業外目的に流用したにすぎないとみるべきである。)

5 また、原審検察官は右の記述に引き続き、「(エ)小山は、同五九年ころ、加津子から、和彦の報酬の増額を求められ、新宿形成の顧問であった、塩野目芳昭税理士に相談の上、加津子に対し、同人の必要に応じて和彦の報酬とは別に現金を手渡し、これを仮払金として経理処理するようになった。」とし、被告人岡加津子が、被告人小山昌宏から仮払金名目で、金員受領してたいのは、被告人小山昌宏の発案決断、しかも税の専門家である税理士との相談の上であったことも認めているのである。租税の全くの素人である被告人岡加津子が、どのようにそれが脱税の金員であると見分けられたであろうか。被告人岡加津子にそれができるはずがないのである。

にもかかわらず、被告人岡加津子は、本件脱税事件の犯人とされ、逮捕勾留・起訴され、有罪とされたことは、まさに被害者とでも言うべきものである。

二 被告人両名の原審法廷供述について

1 被告人岡加津子は、原審における公訴事実に対する認否及び法廷供述について

被告人岡加津子は、原審第一回公判期日において、「途中でうすうす脱税しているのではないかとは思いました。」と認否しているが、これは必ずしも自白とは言えない。なぜなら、この「途中で」とはいつのことなのか判然としていない。

原審第一〇回公判期日において、被告人岡加津子は、平成元年八月下旬頃被告人小山昌宏から貰っていたお金が簿外金であると思った旨供述しているところであり、右の平成元年八月については、公訴事実記載の犯罪日時より後の日時となる。

さらに、岡千文作成の上申書(七)第七項において、「被告人岡加津子が、被告人小山昌宏から、貰っていた「仮払金」が簿外金と知ったのは、平成元年八月に私の目の前で母と叔父が電話で話した時でした。」との記載があり、これは被告人岡加津子の原審第一〇回公判供述を十二分に裏付けている。

したがって、被告人岡加津子の原審第一回公判期日における認否は、到底自白とは言えない。

なお、原審第一回公判調書中被告人岡加津子の供述部分によれば「途中からうすうす脱税しているのではないかと思った」のは、「昭和六〇年一〇月より後になります」との供述記載となっているが、同被告人において、「昭和六〇年一〇月より後」に被告人小山昌宏がうすうすにせよ脱税しているのではないかと思ったのは、右にみた平成元年八月のことしかないのであるから、右供述記載部分もまた前記認否と同様に自白とはみなしえない。

被告人岡加津子が、不本意ながらもこのように曖昧な供述をしたのは、第一回公判の開廷前同被告人の弁護人門上弁護士から、「全面否認すると保釈はむずかしい。後でひとつずつ、くつがえしてゆきましょう。そのために裁判というものがあるのですから。」と言われ、そのことを同弁護士が紙にメモ書きまでしてくれたので、被告人岡加津子は、家庭の事情(亡き岡和彦の病院及び長女の出産)からどうしても接見禁止の解除や保釈をしてほしかったがためであり(被告人岡加津子の原審第一三回公判供述及び同被告人作成の上申書(一)参照)、仮にこれが半自白とみられるとしても、具体性も信用性も全くない供述であるといわなければならない。

2 被告人小山昌宏の原審法廷供述について

被告人小山昌宏は、原審第一回公判において、「公訴事実はすべてそのとおり間違いありません。」と述べているが、これも被告人小山昌宏が自らの有罪を自認したにすぎないもので、被告人岡加津子との共謀まで思い至って認めたものではない。

被告人小山昌宏作成の上申書(二)二五頁によれば、右は当時の弁護人であった鈴木薫弁護士の言うとおり認めたもので、同弁護士からは、「第一回公判の罪状認否がいかに大切か説明を受けず、言われるままに答弁した。」との趣旨を述べている。

被告人小山昌宏は、その作成にかかる上申書(二)四頁において、「東京地方裁判所裁判官の面前での勾留尋問に際しても、本件公訴事実を認める陳述をせず、私の単独で脱税をしたと供述した。」との趣旨の供述をしており、勾留尋問時には被告人小山昌宏は、きっぱりと単独犯であったことを主張していたものである。

三 被告人両名の検察官調書について

被告人両名の本件についての各検察官調書について、共通して言えることは、いずれも一応犯罪事実を辛うじて認める趣旨の供述記載があるが、迫力や具体性に欠け、不自然な点が目立つということである。

ところで渡部保夫教授は、その著書『無罪の発見』(頸草書房刊)三三四頁において、「自白の信用性の判断基準の適用について」と題する項目の中で、「わたくしが裁判官時代いつも悩んでたことの一つは、どういう基準で自白の信用性の有無を判断したらよいかということであり、いろいろな文献を呼んだりしました。(中略)」「西ドイツのウンドイッチという人の「証言の心理」〔六〕に次のようなことが述べられています。真実の供述にはその基盤に明瞭な体験記憶がある。だから、尋問者が質問をすると、供述はいくらでも詳細化する。しかし、嘘の供述はそうではない。その場合には、筋書きを述べることか精一杯である。頭で作った筋書き、自白でいえば捜査官の頭で考えられた筋書きに沿って述べさせられることで精一杯だということでありましょう。その根底に明瞭な体験記憶はないから、いろいろ詳しく掘り下げて聞くと、ボロが出る。いろいろ不自然・不合理な内容になったり、客観的な事実と矛盾する内容になったり、あるいは供述部分でいろいろな不釣り合いが生じてくる。いくら質問をしても量的・質的には貧弱な追加しか行われないわけです。」と指摘している。ことほどさように、自白の信用性は困難を伴うものであり、決して安易にその信用性を認め、供述どおりの事実認定をなすことには慎重を期すべきもきと思料される。

次に、このような観点から、被告人両名の検察官に対する各供述調書の信用性について検討したい。

1 被告人岡加津子の検察官調書について

被告人岡加津子の検察官調書をつぶさに検討しても、本件判示事実について、同被告人が有罪であると確信するに足る供述があるとは言い難い。

ただ、同被告人の検察官調書の中にはところどころ判示各事実に添うかのような供述もあるが、その信用性を認めることは出来ない。

被告人岡加津子の逮捕勾留された当時の健康状態について、同被告人は、原審第一三回公判において、「その時は、心臓が大分、一本動脈の大きいのがもう詰まっておりましたので、状態がすごく悪くて、ニトロがいただいて明け方にちょっとそういう発作がくるんですね、胸が苦しくなって。だから、明け方によく飲んでいたんですけれとも、それをいただいていたのと、その血管を広げるお薬と睡眠薬と安定剤と、そういうのをいただいておりました。」と供述しており、同被告人は、逮捕勾留されていた当時、心臓が大変悪く、度重なる発作にニトログリセリンを飲んでその発作を押さえ、さらに詰まっている動脈を、投薬により押し広げる治療を受けていた状態であったと認定できるし、また、被告人岡加津子の逮捕勾留された当時の精神状態及び、家庭状況は、同被告人の原審第一三回公判供述によれば概ね、次のとおり認めらられる。

すなわち、同被告人の夫の岡和彦が自殺未遂を起し、それ以来、同人の健康状態が非常に悪く、同人から目が離せない状況であり、被告人岡加津子の長女眞弓も、初産準備の為、イギリスから帰国していたことや、長男和樹、次女千文のことが心配で、精神状態も極めて不安定で、東京拘置所から精神安定剤の投与を受けていたのである。以上述べてきた、被告人岡加津子の健康状態、精神状態及び家庭事情の中で、逮捕された平成四年二月一〇日から、同月二四日までの一五日間、検察官の取り調べは連日続けられたが、その際の検察官調書は身上関係に関する調書一通あるのみで、事実関係についての調書は、一通も作成されていない。

このことにつき、被告人岡加津子も上申書(二)第三項で、「検事さんの調べの際『真実と違います。小山と共謀したことも脱税したこともありません。』と申しておりましたら、検事さんは一五日間も調書を取っていただけなかった」と述べるところである。

つまり、被告人岡加津子は、東京拘置所に勾留され、かつ接見禁止が付されて、外部との情報が遮断された状況の中、「小山と共謀したことがない、脱税したことがない」と否認したことにより、一五日間も事実関係についての検察官調書が作られなかったのであって、これが、被告人岡加津子にとっていかに精神的苦痛をもたらしたか、想像を絶するものがある。

また、その取り調べの間に当時の弁護人から、「検事を怒らせてはいけない。認めないと保釈してもらえない」等々、面会時に度々説得され、さらに「嘘の供述をしても、裁判でくつがえせば良い。そのために、裁判があるんだから。」と言われたものであり、このように言われて説得されれば、余程裁判慣れした者でなければ、弁護人の右言葉を信じてしまうのが通常である。

これまで裁判など全く経験のない素人である被告人岡加津子にしてみれば、当時の弁護人のその言葉を信じるほかなく、自己の良心に反し、平成四年二月二五日以降検察官に迎合し、真実が歪められた検察官調書が作成されるに至ったものである。

被告人岡加津子が右のような状況下で検察官に迎合する供述をなす心理に陥ったのは、渡部保夫教授の前記著書中五六頁の後記記述にもあるとおり、やむを得なかったと思われる。

以下、問題となる被告人岡加津子の検察官調書若干について検討してみる。

〈1〉 被告人岡加津子の平成四年二月二五日付検察官調書(検察官申請証拠等関係カード乙第4のもの)第一項について

被告人岡加津子は、「新宿形成外科事務長の小山昌宏に指示して架空給与と水増し給与を計上した」と述べているが、全く信用性に乏しい。

被告人岡加津子は、新宿形成についても新宿千代田についても、その売上げ状況について何人からも報告を受けておらず、各医院の所得についての把握もできてなかったのであり(同被告人の原審第一三回公判供述)、そもそも被告人岡加津子が被告人小山昌宏に指示など出せる立場ではなかったのである。

被告人岡加津子は、指示を出せないことはもとより、実質上の経営者である被告人小山昌宏から指示を受ける能力さえ持ちあわせていなかったのが実情である。

そのことは、本件で被告人小山昌宏が逮捕勾留された後、医院経営に関する被告人小山昌宏の岡家に対する指示は、被告人岡加津子ではなく、被告人岡加津子の次女である岡千文宛であること(原審第一六回公判において弁護人が非供述証拠として取調請求し証拠決定された被告人小山昌宏の岡千文宛信書四七通の存在)や、その内容に照らし、十分窺い得るところでもある。

被告人小山昌宏の岡千文宛右信書の中で、被告人小山昌宏は、自己が逮捕勾留された後暫くして被告人岡加津子の長男である岡和樹が新宿形成の院長となったにもかかわらず、なおも同医院経営について指示指揮しているものであり、たとえば、平成四年六月一五日付信書の場合は、「今まだ不安定ですのでたくさんの宣伝費はかけられませんのでどうしも一〇〇〇万円位で、二二〇〇万か、二五〇〇万円位の目標にしなければやっていけないと思います。それで別紙のように計画表を作ってみました。」・「5月分の日別売上。遅れてでも結構ですから六月中旬頃まで分かれば知らせて下さい。手書きで原稿です。」「約一〇〇〇万位の宣伝費は、無駄をけずっても必要だと思います(現従業員の数、先生の体制からして)」「三陽、明文館の二月から四月までの請求書コピーは一応送ってください。ただ、当日コピーは持参して下さい。」「明文館の方から出稿予定表(7~8月)来ていればコピーを送ってください。」など、平成四年六月二三日付信書の場合は「鬼塚は私の方でも面会などをして教えこんでゆきます。」など、さらに、社員の夏休みに関し、「7月~10月中に4日間夏休みを取らして下さい。出来るだけ平均して(全員が交替で)毎月取るようにさせて下さい。」など、さらに、「明文館、三陽広告両方で合計793,6+消費税+制作費で、三陽広告、明文館の方キャンセルを支給手配するよう頼んでおきました。今日現在、20日を過ぎていますので、全部キャンセルは難しいかわかりません。とりあえず、至急キャンセルの手配を頼んでおきました。」・「中村さんの方にも値上げの抗議は一応しておきました。あとの出方でこちらも色々考えます。そうゆう事もあって三陽広告との関係は残しておきたいのです。」など指示し、さらに中元の贈り物のことに関しても、「お中元ですが今年はこうゆうことですから、最低限で良いと思います。東武デパートの方からリストが送ってくれていると存じます。」(先生5000円位 尻高、成島(中略)、10000円位、石井(石井ビル)門上先生、中村(敏)北島先生。」などと誠に細やかな指示を行い、さらにボーナスの件についてまで、平成四年六月二九日付の信書で「ボーナスの件があるので、給料一覧表を送ってくれますか(6月分基本給、手当などが全部入った分。)昇給(賞与)は基本給+職能給=○○円×0.5で他の手当は関係ありません。今週来れば面会に来て下さい。経済状態など詳しく聞きたいと思います。チーちゃんが困っていることは分かっています。」(被告人岡加津子の上申書(六)参照)など緻密な指示をくり返しているのである。

広告代理店の株式会社明文館社長中村敏男も被告人小山昌宏から多数の信書を受け取っており、右中村は、「小山昌宏さんは現在東京拘置所に勾留されておりますが、その手紙のとおりどんどん指令が飛んで参ります。私の方もその指令どおり動かなければならず、また指令どおりしたことの証拠にする意味で、小山さんからの手紙をファイルして綴り(中略)、小山昌宏さんの指示指令は手紙の文面にもありますように極めて綿密詳細であり、有無をいわさない迫力をもち、真実の経営者でなければ言えないような内容です。」などと述べている(弁護士奥田保作成の中村敏男からの電話聴取書)ところでもあり、被告人小山昌宏が逮捕勾留されるまでの同被告人の新宿形成及び新宿千代田における権勢がいかばかりであったかをほうふつさせるに足る。

〈2〉 被告人岡加津子の平成四年二月二六日付検察官調書(前同番号7のもの)第一項について

被告人岡加津子は、同項において、被告人小山昌宏から毎月の給料とは別に病院の金員をもらっていたとし、しかも右金員は、被告人小山昌宏が新宿形成及び新宿千代田の売上を除外して捻出した金員であり、被告人小山昌宏がそのような方法で脱税して作った裏金であることを感じつつ被告人小山昌宏から金員をもらっていたから自己も脱税の共犯と言われてもやむを得ないと思う旨述べているものであるが、その点も全く信用できない。

被告人岡加津子の同調書の第三項においては、その金員は昭和五八年か五九年初めころから、被告人小山昌宏に「主人の給料を上げてくれ」と言うと、被告人小山昌宏は塩野目税理士に相談し「仮払金」として渡してくれるようになったが、当時はその意味も分からなかった」と述べており、同調書の全てをつぶさに検討しても同調書の第一項で被告人岡加津子が自己の脱税の共犯といわれてもやむえ得ないと供述している根拠が判然としないのである。

2 被告人小山昌宏の検察官調書について

被告人小山昌宏の検察官調書の中には、被告人岡加津子と共謀したと直接表現している部分があるが、その信用性は全くない。

被告人小山昌宏は、同人の上申書(二)にといて、検察官の取り調べ状況及び供述経過について概ね以下のとおり述べている。

すなわち、被告人小山昌宏が逮捕された平成四年二月一〇日は冬の最中であり、東京においては、一年中で一番寒い時期である。また、東京拘置所の夜は寒くて眠れるような状態ではなく、かねてからの持病である心臓病・糖尿病等により入院経験(平成元年五月から三カ月間)のある被告人小山昌宏にとっては、東京拘置所に勾留されるという環境の変化に伴い、持病が特段に悪化し、血糖値が三〇〇~三五〇位あり、血圧も上がり、心臓の動悸が激しく、胸が締め付けられるように苦しく、取り調べ室に座っているのも大変辛い状況にあり、以上の著しい体調不良により食欲もなかったというものである。

このように、被告人小山昌宏の被疑者段階における身体状況は、到底検察官の取調べに耐えうる状態になかったといわなければならない。

渡部保夫教授は、前記著書『無罪の発見』五五頁の中で、「意志薄弱なため又は取調官に対する抵抗力の不足から自白する。精神の発達が遅滞し又は完全でない者、勾留状態によるストレスの抵抗に弱い者、病弱の者、年少者などは、虚偽の自白をしやすい。〔中略〕勾留中の被疑者は、多かれ少なかれ取調官に対して迎合的な心理状態に陥るであろう。迎合は虚偽自白の原因として重要である。外見に変わりはなくても心は極度の迎合状態に陥っていることがある。」と指摘している。

さらに同教授は、同書五六頁の中で、「疲労による自白、苦痛や不安から逃れるための自白」との項目で、「ハウツは、疲労こそは虚偽自白の最大の原因であると言う。肉体と精神の両面における疲労である。連日長時間にわたる取調べは高度の疲労をもたらす(大島正光『疲労の研究』第二版)。連日にわたる取調べの過程で被疑者が否認したり弁解しても、取り上げられず、かえって怒鳴られたり叱責されたり、いまにも殴らんばかりに詰め寄られたり、あるいは親切にされたり説諭されたりしているうちに、被疑者は極度の無力感に陥り、精神は混乱し、個々の捜査官とその背後の巨大な機構に対して高度の畏怖感を抱き、迎合して虚偽の自白するようになる。孤独、不安、疲労、苦痛、食欲不振、睡眠不足、四六時中監視されているという状態、それからの解放を求める本能的欲求、視野狭窄、挫折体験の繰り返しなどが、迎合的心理状態をもたらすのであろう。」と自白の動機及び原因についての信用性の判断基準について詳細に分析している。

以上のことから、被告人小山昌宏の検察官調書の信用性を検討すると、前述のとおり検察官の取り調べ当時、被告人小山昌宏は検察官に対し、極度の迎合的心理状態に陥った事は疑う余地がない。

さらに被告人小山昌宏は同人作成の上申書(二)の中で、「この供述調書は最後の供述調書で取調べの終わる前日の夜で、すでにタイプされていました。(毎回すでにタイプされていました。)あとは署名、指印を押せばよい状態になっていました。」との趣旨を述べている。

つまり、検察官は、被告人小山昌宏を取り調べる前から、供述調書原案を作成しており、あとは迎合的心理状態を利用し、これに署名、指印をするよう説得すれば良かったのである。

従って、被告人小山昌宏の検察官調書の自白部分、殊に被告人岡加津子との共謀を抽象的ながらも認めている部分の信用性はないものといわなければならない。

以下問題となる被告人小山昌宏の検察官調書について検討を加えることにする。

〈1〉 被告人小山昌宏の平成四年二月二七日付検察官調書(前同番号26のもの)第一項について

同調書第一項には、「私が姉である岡加津子と話し合いの上で、新宿形成外科クリニックと新宿千代田形成外科の売上を抜いて裏金を作り、脱税をしていたことはこれまでお話したように間違いありません。売上を抜いて脱税し、裏金を作るということを、姉との間で合意し、そうして作った裏金を、姉と私で使ったようになったのは、昭和六〇年春頃のことでした。」との記載部分があるが、これは全く具体性がないもので、よく読むと、「私はこの「裏金」と言う表現は使わなかったが、「これからは裏金を渡すから」ということについては、姉は十分分かるように言い姉も、そのことは了解してくれ、互いに院長に内緒にしようということでも合意しています。」と供述しているが、理詰めで追い込んだ経過が供述内容そのものから了解し得るといえよう。

また同調書第四項では、「姉は新宿形成外科クリニックや新宿千代田形成の売上や経営がどうなっているのかとよく私に聞いてきました。」との供述記載があって、いかにも思わせぶりであるが、その具体的内容は、「姉から「今どうなの」と言うような形で、売上状態について聞かれ、そんな時私は、「まあまあだよ」という答え方をしていました。」という程度なのであるから、羊頭をかかげて狗肉を売るのたとえの類の供述であるというほかない。

同調書第六項では、被告人小山昌宏が平成元年八月中旬ころ除外カルテを被告人岡加津子に預かってもらおうと思った云々の記載があるが、一体いつのカルテなのか不分明であるのみならず、事実関係も異なっており、この点は岡千文作成の上申書(七)のとおり、岡千文が樋口婦長から強く言われて、カルテの処分をしているもので、しかも処分した右カルテは同上申書にもあるとおり、平成元年のものであって、本件各公訴事実には直接関係しないのである。しかも岡千文がカルテを焼却するにつき、被告人岡加津子と連携した上のものではない。

〈2〉 被告人小山昌宏の平成四年二月二八日付検察官調書(前同番号2のもの)について

被告人小山昌宏は、右調書において、「国税局係官には自己が競馬で費消した金額は、六億円以上であったと述べたが実際は競馬で六億円以上も使っていない」との趣旨の供述をしているが、一方、同調書後半では、取り調べ検察官において被告人小山昌宏に対し、「競馬での費消額は、単に六〇〇万円程度か、せいぜい一〇〇〇万円前後であったのではないか」との質問を発しているが、これは検察官の完全な誤解に基づく質問であると思料される。

なぜなら、検察庁に押収されていたが、弁護人申請の報告書に写し添付の形で法廷に顕出された不的中勝馬投票券のみでも二二〇〇万円を超える金額であることにかんがみれば、六〇〇万円とか、一〇〇〇万円とかの金額は全くの的外れの低額金額であったことが十分推認し得るものといえる。

被告人小山昌宏の競馬での豪遊ぶりは、いわゆる後楽園場外馬券売り場の大口客係の山崎雪江の当弁護人宛の電話聴取書によっても、また、被告人小山昌宏が場外馬券を買う際、ボディガード役をつとめた西野寛の供述(同人作成の上申書)によっても明瞭である。被告人小山昌宏は単なる従業員ではなく、一人で新宿形成及び新宿千代田を牛耳り、経営していたからこそ、なし得る多額の競馬費消とみうるのである。

結局両医院の経営者は、いずれも被告人小山昌宏であるから、これと前提を異にする各公訴事実につき、

被告人両名とも無罪である。

第四 まとめ

以上のとおり、本件各公訴事実とも、前述の諸理由から実体的真実は、いずれも被告人小山昌宏が実質上の経営者であり、しかも被告人小山昌宏は経営者として各医院の経営、売上管理、広告、人事万般にわたり、これを実質上掌握且つ、管理監督していたものであり、売上金の処理も自らの判断においてこれを行い、かつ、各年度の確定申告も、経営者として被告人小山昌宏の責任において塩野目芳昭税理士に依頼の上これををなしたものであり、亡き岡和彦、被告人岡加津子が塩野目芳昭税理士作成にかかる確定申告書に、内容確認の上自ら署名押印したこともなく、そのような確定申告書を提出したことは一度もなかったものである。従って各公訴事実のとおり認定した現判決には事実誤認があり、破棄のうえ被告人両名とも無罪とされるべきである。

ちなみに、本件において事実誤認の結果を生じさせた原因は前述のほか、前弁護人らの本件に対する理解不足と認識不足が裁判所を巻き込んでしまった結果でもある。

後者の点は、以下によっても明らかである。

1 平成四年二月二五日以降検察官に迎合し、真実が歪められた検察官調書が作成されるに至った経緯

被告人岡加津子は、東京拘置所に勾留され、かつ接見禁止が付されて、外部との情報が遮断された状況の中、一五日間もの取り調べで、「小山と共謀したことがない、脱税したことがない」と事実関係について否認していたが、当時の弁護人から、「検事を怒らせてはいけない。認めないと保釈してもらえない」等々、面会時に度々説得され、さらに「嘘の供述をしても、裁判でくつがえせば良い。そのために、裁判があるんだから。」と言われ、弁護人の右言葉を信じてしまい、検察官に迎合して、真実が歪められた検察官調書が作成されてしまったものであることは前述のとおりであるが、当時の弁護人が本件の真実を十分把握認識していれば、このような説得をするわけがなく、嘘の供述をしても、裁判でくつがえせば良いなどということ自体、弁護人として問題があると思われる。

2 原審第一〇回公判の被告人岡加津子の供述について

被告人岡加津子は原審第一〇回公判において、門上弁護人から次のような問答があった。

弁護人(門上)

「それでは新宿形成外科の経営者は誰ですか。」

被告人(岡加津子)

「もう名義上は主人でした。」

弁護人(門上)

「そうすると名義上に対して実質上ということばを使うんですけど、実際に新宿形成外科を切り回していた人は誰ですか。」

被告人(岡加津子)

「私の弟です。」

弁護人(門上)

「小山昌宏君ですか。」

被告人(岡加津子)

「はい。」

弁護人(門上)

「そうすると、いつごろから小山君が新宿形成外科を実質上、経営面もそれから実質面もすべて支配していたんですか。」

被告人(岡加津子)

「ボールの患者さんが化膿したことがありますね。あれが、私も年代的に言われても本当に分からないんですけど、みんなが言うのは五七年ぐらいだというんですね。ですから、そのころから小山にバトンタッチしたと思います。」

裁判長

「弁護人、途中から確かに被告人の話は変わってきているんですけど、実質的経営者というところまで争いで入るんでしょうか。実質的にきりもりしておられたというのと、実質的経営者とはまた違う話なんでしょうし、納税主体自体が違うとか、そういうところまでいうわけですか。」

弁護人(門上)

「小山が実質的経営者だと、その実質的経営者にすべての所得が入るということになるんで・・・・。」

裁判長

「そういうことになるんで、そういうところまでいかれるおつもりなんですか。」

弁護人(門上)

「ちょっとその点も情状になるか本論になるか・・・・。」

裁判長

「いやいや、重要なところじゃないんですか。もともとはこれは和彦さんの所得税法違反なわけですね。それを今度は岡和彦さんの所得税法違反ではなくて、小山被告人の所得税法違反だと、こういうことになるわけですか。そうすると、そもそも・・・。」

弁護人(門上)

「一応、私のほうとしては、情状として出したいと思っていましたので。」

裁判長

「情状だったら結構なんですけど、今のままでいきますと、あたかもこの起訴自体が成り立たないというご趣旨の方向にいくのかなというちょっと懸念もありますので、そのへんはどうお考えなんでしょうか。それによったらまた検察官のほうで、それについて・・・。」

弁護人(門上)

「いやいや、事情としてちょっと・・・。」

裁判長

「じゃ、もう適度なところで、よろしくお願いいたします。」

(中間省略)

弁護人(門上)

「千代田形成外科も名目はあなたが経営者になっているけれども、実質的なことは小山さんがやっていたと、こういう状況にあるわけですね。」

被告人(岡加津子)

「はい。」

裁判長

「それは岡加津子の所得に属するということ自体は認めるわけでしょう。」

弁護人(門上)

「はい。」(以下省略)

これら以上のやりとりから明らかなとおり、本件最大の論点を前弁護人は単なる情状として主張しており、そのため、原審裁判所は本件事件につき、安易に有罪認定をしているものである。

3 原審第一〇回公判の被告人小山昌宏の供述および原審第一〇回公判の手続調書について

被告人小山昌宏は原審第一〇回公判において、門上弁護人から次のような尋問を受けて、応答している。

弁護人(門上)

「この新宿形成外科と千代田形成外科の実質的な経営者は、被告人小山ですか。」

被告人(小山)

「はい、そうです。」

弁護人(門上)

「調書でもそうなっていますが、そうですね。」

被告人(小山)

「はい。」

(中間省略)

弁護人(門上)

「そうすると、あなたに所得が帰属すると、あなたはそのお金を自由に使っていいわけですか。」

被告人(小山)

「と思います。」

弁護人(門上)

「あなたは、検事さんに詳しく何回も調書を取られているんですけれども、それと、この公判廷で裁判長に申し上げている内容とが、だいぶ違っているんですけれども、どちらが本当ですか。」

被告人(小山)

「法廷で述べた事が全部正しいです。」

弁護人(門上)

「法廷では嘘偽りは言ってないということですか。」

被告人(小山)

「はい。」

裁判長

「そうすると、岡和彦、それから岡加津子がそれぞれ各該当年度に申告してありますけれども、これは間違いで、あなたが申告すべきだったということですか。」

被告人(小山)

「本来だったらそうだと思います。」

(中間省略)

裁判長

「そうすると、本件で合計七億九千万余の脱税になってますけれども、これは岡和彦さん、岡加津子さんの脱税ではなくて、あなたに帰属する所得をあなたが脱税したものだということで和彦さんと加津子さんは関係ないと、こういうことですか。」

被告人(小山)

「はい。」

裁判長

「この法廷で話してきた今までの供述は結局全部それに集約できるということですか。」

被告人(小山)

「大体できると思います。」

以上のとおり本件の真実を明確に被告人小山昌宏は述べており、原審裁判所は同公判の手続調書に以下のとおり、本件事案を認識しているか述べている。

「被告人の本日の供述及び弁護人の主張は、裁判所の把握していた争点と異なり、また検察官のそれとも異なると思われる。争点を明確にし、裁判所の判断を求める点を明示していただきたい。今のままではおそらく検察官もどのような論告をすべきか迷うと思われる。(以下省略)。」

裁判長の右発言は、明らかに前弁護人が、本件事実を曖昧に認識、理解して、弁護活動をなし、その結果、本件真実を原審裁判所が把握できずにいたかを如実に示しているものである。

さらに、被告人岡加津子は同被告人作成の平成五年一二月三日付上申書(1)に述べているとおり、本件真実を理解出来ず、被告人岡加津子・被告人小山昌宏の意思に反する弁護活動に異議を唱える姿を、見かねた原審の伊藤正高裁判長が「弁護人と被告人の意見が全く違うまま、裁判所としてはこれを無視して判決することは出来ない。弁護人は本来、被告人から委任を受けているにもかかわらず、被告人の意思を無視して弁護しているということは、弁護人として大変問題があることですよ。」と注意勧告を促すまでになり、前弁護人は辞任することになったものである。原審裁判所に事実を誤認させるような弁護活動を行った前弁護人の責任も重大であると言わざるを得ない。

Ⅲ 量刑不当の主張について

弁護人は基本的に被告人両名の無罪を主張するものであるが、その主張が認められないとしても、被告人岡加津子・被告人小山昌宏につき以下の事情が存するので、原判決破棄の上、被告人両名の懲役刑につき、刑の執行猶予を付し、また、被告人岡加津子については、併科されている罰金額の大幅な減額をされたい。

第一 被告人岡加津子の情状について

被告人岡加津子は、原審第一回公判後に夫和彦を亡くし、それ以来再婚もせず、次女千文に生活の面倒をみてもらっていたものであるが次女千文も本年一二月に結婚し、別に世帯を持っている。被告人岡加津子は本件事件により、追徴課税を受け、その支払いのため、やむなく土地、家を担保に銀行から融資を受けたものであるが、その支払いが出来ず、現在、立ち退きを迫られ、近く亡和彦と思い出が凝縮されたこの土地、家を出て、アパートに一人住まいを余儀なくされているものである。また同被告人は、その他にも、多大な借財があり、自己破産寸前に追い込まれているものである。さらに、同被告人の健康状態についても、同被告人は六四歳という高齢に達し、原判決の実刑言渡しにより心臓病がますます悪化してきており、今後の生活が大変に危惧されている状態にあるものである。この様な状況にある被告人岡加津子が再犯に及ぶことは事実上絶対に不可能であり、再犯の可能性は絶無と言って過言ではないこの様な境遇の被告人岡加津子に対し、

一 懲役二年四月の実刑を科すことは、前科前歴の全くない普通の主婦として過ごしてきた同被告人岡加津子に、多大な肉体的苦痛を与えるだけでなく、膨大な精神的苦痛を与えることになりその精神的ショックにより、ますます悪化している心臓病をさらに急激に悪化させ、被告人岡加津子の生命を危ぶませることになりかねないものである。

これを要するに、被告人岡加津子に対し、懲役刑の実刑をもって処断するのは、同被告人の生命を危ぶませることになり、極めて苛酷な結果を招来するものであり、量刑が著しく不当であると言わざるを得ない。

従って、同被告人の懲役刑については刑の執行を猶予するのが、応報刑論及び、教育刑論いずれの立場に立つとしても、相当であると言わざるを得ない。

二 また、被告人岡加津子につき懲役刑に併科されている罰金刑についても五〇〇〇万円という高額であって、前述の事情のとおり、被告人岡加津子が自己破産寸前の状況であり、親戚、友人等からは借り入れることはもはや困難であり、子供達の資力も、長男は医院を維持するために他の病院でアルバイトをしており、長女は子供がいて養育にお金が掛かる毎日であり、次女は嫁いで間がない状況の中、三人が生活を切り詰めても、何とか安いアパートで母一人、細々と生活するのを面倒見るのが、やっとというものであり、被告人岡加津子は一日三食食べることも難しいという極貧の状況下にあるものであり、支払い能力は破綻しているものである。

そのため、被告人岡加津子が罰金を完納することは、夢のまた夢であり、換刑処分としての労役場留置しか方法はないものである。

しかし、その労役場留置についても、前述の健康上の事情から労役場留置に耐えられない状況にある。以上のことから、同被告人の罰金刑についても可能な限りの減額を切望するものである。

第二 被告人小山昌宏の情状について

弁護人は、被告人小山昌宏は右各医院の実質上の経営者であり、その責任において、新宿形成については「岡和彦」名義、新宿千代田については「岡加津子」名義を用いて、自らの所得を不正申告したものである以上、被告人小山昌宏については、冒頭に述べた実質課税の原則から、仮に有罪とされるとしても、同被告人には、左の情状が存するので、刑の執行猶予の判決を賜りたい。

一 被告人小山昌宏は、初犯であり、何らの前科も有しない。

被告人小山昌宏自らが、新宿形成並びに新宿千代田を経営している際、本件各脱税に至ったものであるが、勾留後も、その経営について心配し、種々の助言をしている。

二 被告人小山昌宏については、すでに相当長期に亘り勾留され、実質的処罰を受け、刑政の目的をかなり達成しているものである。

これ以上被告人小山に対し、制裁を加える必要はないものと考えられる。また、被告人小山昌宏は、原判決の言渡しを受け、本件事件につき、十分反省しており、無実の姉である被告人岡加津子のために、原審公判中から、真実を述べているものであるが、原審の前弁護人が本件を理解出来ず、被告人岡加津子・被告人小山昌宏の意思に反する弁護活動をなしてしまった結果、見かねた原審の伊藤正高裁判長が前弁護人に対し、「弁護人と被告人の意見が全く違うまま、裁判所としてはこれを無視して判決する事は出来ない。弁護人は本来、被告人から委任を受けているにもかかわらず、被告人の意思を無視して弁護しているということは、弁護人として大変問題があることですよ。」と注意勧告を促すことまでになり、前弁護人は辞任するに至ったものである。そのために事実誤認という結果を生じさせてしまった責任を痛感しているものである。同被告人は、決して、自分に責任がないとは述べたことはない。

仮に被告人小山昌宏につき、実刑が免れ難いとしても、未決勾留日数は本刑に満つるまで全部算入されたい。

以上

控訴趣意補正書

所得税法違反 岡加津子

右同 小山昌宏

右の者らに対する頭書被告事件につき、すでに提出した控訴趣意書の一部を左記のとおり補正いたします。

平成七年一〇月二五日

弁護人 奥田保

東京高等裁判所第一刑事部 御中

一 すでに提出済の控訴趣意書中、Ⅱ(事実誤認の主張について)の第二(原判決認定事実の第二について)の1の第一四行目ないし第一六行目に、「開業当時、被告人小山昌宏は、新宿形成からの収入のほとんどを競馬に費消し、預金残高も少なく、自らの名義では大生相互銀行から開業資金の借入れが出来ない状態であり」とある記載部分を撤回する。

二 原判決調書中「(事実認定の補足説明)」欄中、

二(各事実所得の帰属について)〈7〉中、被告人小山が「自らが銀行から借入れたり、医師の招へいなどを行うだけの資力も信用もなく、結局加津子に開設を勧め、加津子が自らの経営判断で資金を借入れ」たものとの認定は真実ではない。

三 真実は、被告人小山は昭和六二年四月当時、収入のほとんどを競馬に費消していたものの、それでも銀行預金が約七〇〇万円、証券会社に預けていた金員が約一億五〇〇〇万円程度有していたものである。

以上

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